2015年6月26日金曜日

天恵

ひとはなぜ生きるんだろう?なんのために生きているのか?
いったいどんな意味があって生きているのか?
そんな青臭いこと、ずいぶん昔から、10代からずっと考えているけど、いまだに答えは見つからない。

答えを探すために小学5年生ぐらいからふらふらとあてずっぽうにあちこち歩いた。
中学、高校と、春休み夏休み冬休み、そして、ときどき普通の日々に、野宿しながら行ってみたい場所にいろんな手段で旅を続けた。
もちろんいつも独りぼっち。
いつも行った先々で地に足を着いた人々の温情に甘えてきた。
人の生き方をぼんやりと理解し始めて頃、クライミングに出会った。

なんの目的もしがらみもない水平の旅は好きだったけど、垂直の旅を知ってからはすっかりはまった。
垂直の目的のない旅はあり得ない。
そんな変化からもう30年もたっちまった。

純粋な気持ちはすっかりにごって、ダメな大人にいつの間にかなっちまった。

昔から好きなことにはとことん突き詰める性格だった。

今年、西表島に3年通って、ど雨の中毎日熱帯雨林気候の深い深い山の中へ登り続けてひたすらに虫を探した。
おそらく並みの虫屋には成せない行動だったとは思う。
どれだけ増水した川でも渡れるし、どれだけ高い樹木でも登れるし。
どれだけ深い山の中でも方向を見失わずに歩けるし。
だけど、そして、ふと突然だけどそんな中で、こんなこと、いまやることなのか?と、突然内なる声が聞こえた。
ムシトリなんてまだまだもっとジジイになってもできる。

いまならまだ間に合うんじゃないか。
自分で自分に都合の良い嘘をついて、逃げて、都合の良い言い訳をして。
避けていたんじゃないか、逃げていたんじゃないか?と。

だくだく汗を流しながらジャングルの中で、突然悟った。

まだいまなら自分の限界に挑戦できるのではないか?と。

気のせいでも構わない。
いい歳こいて夢見心地のバカな中年でも構わない。
かつて達成した自己最難への再挑戦。

一気にバイーンとはいくことは、もうない。それぐらいのことは分かっている。
年相応に、少しずつ、いまより0.1ミリでも飛んだり跳ねたりしてでもその先をつかめればいい。

その先に。

なにが待っているのか?
どんな風景が待っているのか?

なにもなくてもいい。

生きていること、それが実感できたら、きっと、いいに違いない。

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